もう一つのフットボール

あなたには全てを賭けて打ち込めるものがありますか?

Maybe tomorrow

皆様もご存知の通りサッカーにおいてブラジルという国は
王国の名前以上に強くて憧れのまさに雲の上の存在で
ペレ、ジーコ、ロナウド、ロナウジーニョなど
サッカーを知らない人でさえ聞き覚えのある
世界最高峰のプレーで魅せるスターを数多く排出した国だ。
どんな世界大会に出場しでも必ず優勝候補の一角として数えられる
カナリアイエローのジャージと
セレソン(選ばれし勇者)の称号をまとう選手のチームから
プロ選手は23歳以下の制限があるとはいえ
あの灼熱地獄と呼ばれた夏のマイアミで
前園キャプテン率いる日本男子サッカー代表チームが
誰も予想をしていなかった勝利を呼び込んだ日。
他の人がどう言おうと
僕が思う日本最強のドリブラーがドリブルを封印して黒子に徹し
周りの選手に「引くな、上がれ、仕掛けろ!」と叫び続けたあの日のことを
サッカーが下手な人のことをジャポネーゼと揶揄する国相手に
見事に奇跡を起こして見せたあの日の事を
僕は一生忘れることはない。

 

ラグビーのワールドカップが開催されたニュージーランドで
サッカーのブラジル以上に敬意と畏怖と憧憬を集め
その戦闘服の配色からオールブラックスと呼ばれるチームに
日本の象徴でもあるサクラの紋章を掲げる
日本代表チームが挑む戦いがいよいよに迫っていたあの日。
ラグビー素人の僕が偉そうな事は書けないが
それでも大和魂とともにどうか立派に立ち向かって欲しい。
そう思ってこの記事をダイアリー版に掲載した。

マイアミの時は
負けてもいい試合、仕方ない試合と呼ばれ
評論家も誰も予想しなかった試合で大金星をつけた
前園真聖が率いたチームや
ドイツではサッカー協会でさえできると想定していなかった
世界のてっぺんに登りつめてみせた澤穂希が率いたチームのように
日本のフットボールファミリーには
不可能なんて言葉は無いと今でも僕は信じています。

 

フットボールと言うスポーツの応援の醍醐味は
目を覆う事でも天を仰ぐ事でも
ましてや細かいミスをあげつらって否定する事でもなく
精一杯の祈りで選手の背中を押し健闘を称え拍手を送る事にあるんだ。

 

例えボールの形や少しのルールの違いはあっても。

 

あの年の夏。
僕の自慢のお嬢ちゃん逹に
ささやかな夢と結構な勢いの楽しみを与えてくれた
海風のよく似合う自称17歳のビーチフットボーラーに
僕なりの敬意を表して。

 

 

その昔
ブラジルから日本にやってきた褐色のストライカーは
年を重ねフィールドの支配者として主戦場をMFに移した頃
オランダからやってきた指揮官が率いる代表チームの10番をつけ
ワールドカップまで後少し本当に本当にあと少しの所まで
試合を応援する僕らも含めて日本を連れて行ってくれた。
良い事も悪い事(普段靴下履かないとか?)も
彼が日本サッカーに与えてくれた功績は計り知れない。

その中でも
「国を代表して戦うチームが何故、国を象徴する日の丸を付けないんだ?」
当時の代表ユニフォームに無かった日の丸を付ける事を希望した。
ブラジルからやってきた侍は
当時の誰よりも国の期待を背負って戦う事を誇りとしていた。

 

初めてと言ってもいいくらいW杯での激闘を見せてくれた南アフリカ大会
日本の最終ラインからチームを鼓舞し続けてくれた
2代目闘将のお母さんはブラジルから駆けつけてくれただけでなく
ジャパンブルーのユニフォームを着て
日の丸のフェイスペインティングを描き
「ブラジルと対戦したら?もちろん息子の国を応援するよ」
日本からのサポーターの世話のボランティアまでして
一緒に現地で戦ってくれました。

言葉の問題、国籍の問題、気持の問題、家族の問題
色んなものに悩み苦しみながら
日本で頑張って有名になっても一度ジャパンブルーを着たら
2度とセレソンにはなれない事も判った上で
それでも自分を受け入れてくれた仲間たちと一緒に
日本サッカーと一緒に世界と戦ってくれた彼ら。

超有名な二人だけ書きましたが他にも
ロペスさん宮澤さんそしてアレックスも。
ラグビーのレギュレーションは判りませんが
今のラグビー代表チームにて
サクラのジャージをまとってくれている異国の友の彼らにも
精一杯の感謝を込めて奮闘を祈ろうと僕は思います。

かつて褐色の10番に憧れた日本最強のドリブラーが
マイアミで奇跡を起こしそして引退したのち
もう一度体を作り直してまで彼が指揮する
ビーチサッカーの代表に入ったように。
これからも日本のラグビーのために
サクラのジャージが2019年に満開を迎えられるための
力になってくれる事も期待しながら。