もう一つのフットボール

あなたには全てを賭けて打ち込めるものがありますか?

Another Sky

今日は更にもう一つのフットボールの話をしよう。
女子サッカーという男子サッカーとは環境も境遇も全く違う
もう一つのフットボールの話。

 

彼女は知っている。

今自分の元に集まってプレーしている選手達が
どれだけのことを犠牲にしてその場所に立っているかということを。

だから決して
そのことを無駄にさせたりしない。
呼んだ選手は責任を持って試合でプレーさせる。
もちろん呼んだ選手をできうる限りゲームで使う理由としては
新たなる最強なでしこを2020年までに完成させるテストでもある

それでも

代表チームに合流するには仕事を休まなければならない。
職場の同僚に気兼ねしたり手取りが減ったり
そんな時代のエースだった彼女だからこそ
今もさして変わらない境遇で頑張っている若い子達を
手ぶらで帰らせる
なんて真似は出来ないんだろう。

 

彼女は知っている。

フル代表で成績を残さなければ何も変わらないことを。
そしてもし残せなかった場合
今までの苦労や努力が無かった事にされてしまうことを。

今ピッチに立っている若い選手達と共に
アンダー世代ではことごとく実績を残して見せても
世間一般ではほんの数行のニュースにしかならなかった。
そして同時期にリオの出場権を逃してしまったフル代表チームは
世界ランクは男子よりも全然上にいるにも関わらず
終わったチームにされてしまった。

だからこそ
ワールドカップの出場権を獲得するための試合であの決断をす。

「手に入れた出場権を確定させる」

なでしこの監督としての責任を全うしたのだ。

 

彼女は知っている。

あの数分間
すべての選手が割り切っていなかった事も
だからきっと
あの後のミーティングでいつも言うあの言葉を言っていたはずだ。

悔しかったでしょう?
最後まで勝負したかったでしょう?
だったらまだまだ走り続けなさい。
誰も文句が言えないくらい強い選手にチームになりなさい。

今度こそ絶対にみんなで世界のなでしこになろう。

2020年の東京で
世界一キレイな花を咲かせる為の彼女と彼女達の挑戦は
まだまだ始まったばかりなのだから。

 

NO END SUMMER.

僕の大好きなサッカーと同じフットボールの名を持つ

ラグビーと言うスポーツを

嫌いだったりイケメン君を陥れる手段だったりで

終わった高校時代からしばらくの間は

関わる事も無かったのだが

ひょんな事からその名前を聞く事になるのは

バブルが弾けてコマーシャル業界から足を洗い

帰郷後今の会社に就職してスグの事でした。

 

ウチの会社の社長さんが所属している

ウチの職場のある邑のロータリークラブ

ニュージーランドのタウランガと言う町と

姉妹縁組を締結していて

そのクラブの創立何周年かの記念事業として

交換留学生をお互いに受け入れる事になったのです。

当時の社長さんの家には

今の専務を筆頭に高校生中学生がいて

しかも会員としては年が若い方に分類されていたため

ホームステイ先として

何人もの留学生の子がやってきました。

何故か女の子が来ることが多く

日本に来た記念に振袖で写真を写したり

倉敷の美観地区に観光に行ったりもしたのですが

普段は僕が卒アルを作っている学校に

受け入れ先をお願いして学校へも通っていました。

 

そんな彼女達によく聞かれたのが

「その高校にはフットボールのクラブがあるか?」

って事でした。

一番最初に聞かれた子に「もちろん」って答えたのですが

その子がとても残念そうな顔をして

「違うフットボールだった」って帰宅したのを

今でも鮮明に覚えています。

それ以来は留学生の子を受け入れいている間は

ウチの会社ではサッカーの方が

もう一つのフットボールとなっていました。

 

そしてある年の事です。

今からおよそ10年前くらいになるだろうか

ウチの社長さんの家にNZからの交換留学生として

ケイティと言う名前の女の子がやってきた。

それまで来た子達より少しおとなしめで

しかもホームシックになりかけていた彼女は

受け入れ先の高校から帰宅するやいなや

「つまらない行きたくない」

と泣き出してしまったそうだ。

授業中や休憩時間はおろか昼休みさえひとりぼっちで

お昼ご飯も一人でさみしく食べたと言う。

そのクレームは翌日即学校ではなく僕の所へ伝えられた。

当時その学校には国際コースと言う

オーストラリアやカナダにホームステイに行ったりする

国際交流や海外発展に目を向けたコースがあって

その1年生のクラスへ案内されたケイティ。

いくら進学目的オンリーではないコースとはいえ

5月という県内有数の進学校に入学したばかりで

自分のことだけでも精一杯の子が多いところへ

連れて行った学校も学校だ。

僕はその日の昼休みに彼女を別のあるクラスへ案内する事にした。

 

国際コースの3年生のそのクラスは

自ら「TKさんの高校での前線基地」を名乗り

実際卒業アルバムのクラス写真にも僕が写ってたりした

3年A組の生徒たちは事情を聞きそして僕の

「この学校の悪いイメージだけ持たせて帰らせていいの?」

と言う問いかけに持ち前のサービス精神を遺憾なく発揮して

兄弟が1年にいる子は弟や妹のところに

部活をしてる子は後輩のところにケイティと一緒に行って

その一週間後には彼女が

「学校へ行くのが楽しみ」と言うまでに世話を焼いてくれ

しかも僕に

「今度泣いて帰ってきたら、あることないこと顧問の先生に言いつける」

と半ば脅迫されたサッカー部は

県下有数の進学校に通う頭脳をフル回転させ

近隣のラグビー部のある学校に道具一式を借りにいって

放課後一緒にラグビーまで楽しんでくれた。

もっとも楽しかったのは最初の数分だけで

後は鬼コーチと化した彼女に超スパルタでしごかれている様にしか

僕には見えなかったけど。

 

その後帰国したケイティは今では超親日家の通訳さんとして

観光客のお世話をしているらしい。

特に岡山からの観光客には

ツアーではなかなか行けないスポットまで

ガイドを兼ねて連れて行ってくれるそうです。

お宮参りの撮影に来てくれた某高サッカー部出身のS君は

「そう言えば1時間かけてチャリでラグビーボール借りに行きましたね」

なんて

某田舎地方の某一部地域では

超マニアックな地域限定でNZのラグビーワールドカップ

結構話題として盛り上がったりもできるのです。

Maybe tomorrow

皆様もご存知の通りサッカーにおいてブラジルという国は
王国の名前以上に強くて憧れのまさに雲の上の存在で
ペレ、ジーコ、ロナウド、ロナウジーニョなど
サッカーを知らない人でさえ聞き覚えのある
世界最高峰のプレーで魅せるスターを数多く排出した国だ。
どんな世界大会に出場しでも必ず優勝候補の一角として数えられる
カナリアイエローのジャージと
セレソン(選ばれし勇者)の称号をまとう選手のチームから
プロ選手は23歳以下の制限があるとはいえ
あの灼熱地獄と呼ばれた夏のマイアミで
前園キャプテン率いる日本男子サッカー代表チームが
誰も予想をしていなかった勝利を呼び込んだ日。
他の人がどう言おうと
僕が思う日本最強のドリブラーがドリブルを封印して黒子に徹し
周りの選手に「引くな、上がれ、仕掛けろ!」と叫び続けたあの日のことを
サッカーが下手な人のことをジャポネーゼと揶揄する国相手に
見事に奇跡を起こして見せたあの日の事を
僕は一生忘れることはない。

 

ラグビーのワールドカップが開催されたニュージーランドで
サッカーのブラジル以上に敬意と畏怖と憧憬を集め
その戦闘服の配色からオールブラックスと呼ばれるチームに
日本の象徴でもあるサクラの紋章を掲げる
日本代表チームが挑む戦いがいよいよに迫っていたあの日。
ラグビー素人の僕が偉そうな事は書けないが
それでも大和魂とともにどうか立派に立ち向かって欲しい。
そう思ってこの記事をダイアリー版に掲載した。

マイアミの時は
負けてもいい試合、仕方ない試合と呼ばれ
評論家も誰も予想しなかった試合で大金星をつけた
前園真聖が率いたチームや
ドイツではサッカー協会でさえできると想定していなかった
世界のてっぺんに登りつめてみせた澤穂希が率いたチームのように
日本のフットボールファミリーには
不可能なんて言葉は無いと今でも僕は信じています。

 

フットボールと言うスポーツの応援の醍醐味は
目を覆う事でも天を仰ぐ事でも
ましてや細かいミスをあげつらって否定する事でもなく
精一杯の祈りで選手の背中を押し健闘を称え拍手を送る事にあるんだ。

 

例えボールの形や少しのルールの違いはあっても。

 

あの年の夏。
僕の自慢のお嬢ちゃん逹に
ささやかな夢と結構な勢いの楽しみを与えてくれた
海風のよく似合う自称17歳のビーチフットボーラーに
僕なりの敬意を表して。

 

 

その昔
ブラジルから日本にやってきた褐色のストライカーは
年を重ねフィールドの支配者として主戦場をMFに移した頃
オランダからやってきた指揮官が率いる代表チームの10番をつけ
ワールドカップまで後少し本当に本当にあと少しの所まで
試合を応援する僕らも含めて日本を連れて行ってくれた。
良い事も悪い事(普段靴下履かないとか?)も
彼が日本サッカーに与えてくれた功績は計り知れない。

その中でも
「国を代表して戦うチームが何故、国を象徴する日の丸を付けないんだ?」
当時の代表ユニフォームに無かった日の丸を付ける事を希望した。
ブラジルからやってきた侍は
当時の誰よりも国の期待を背負って戦う事を誇りとしていた。

 

初めてと言ってもいいくらいW杯での激闘を見せてくれた南アフリカ大会
日本の最終ラインからチームを鼓舞し続けてくれた
2代目闘将のお母さんはブラジルから駆けつけてくれただけでなく
ジャパンブルーのユニフォームを着て
日の丸のフェイスペインティングを描き
「ブラジルと対戦したら?もちろん息子の国を応援するよ」
日本からのサポーターの世話のボランティアまでして
一緒に現地で戦ってくれました。

言葉の問題、国籍の問題、気持の問題、家族の問題
色んなものに悩み苦しみながら
日本で頑張って有名になっても一度ジャパンブルーを着たら
2度とセレソンにはなれない事も判った上で
それでも自分を受け入れてくれた仲間たちと一緒に
日本サッカーと一緒に世界と戦ってくれた彼ら。

超有名な二人だけ書きましたが他にも
ロペスさん宮澤さんそしてアレックスも。
ラグビーのレギュレーションは判りませんが
今のラグビー代表チームにて
サクラのジャージをまとってくれている異国の友の彼らにも
精一杯の感謝を込めて奮闘を祈ろうと僕は思います。

かつて褐色の10番に憧れた日本最強のドリブラーが
マイアミで奇跡を起こしそして引退したのち
もう一度体を作り直してまで彼が指揮する
ビーチサッカーの代表に入ったように。
これからも日本のラグビーのために
サクラのジャージが2019年に満開を迎えられるための
力になってくれる事も期待しながら。

Touch and go

ラグビーとサッカー。

 どちらもフットボールと呼ばれるスポーツの僕の感じた違いについて
あくまで僕の個人的な考えを今回は書いてみようと思います。

 
ボールの話

まず大きな違いとしてボールの形が違う。

円と楕円。
そんなに大きな違いか?と思われますか?
コレはねぇ、めっさ違うんだぜ実際に蹴ってみると。

 序章でも若干触れた事ですが僕がまだ本意気なサッカー小僧だった頃
足癖の悪さにはかなり自信があった。
コントロールもスピンもカーブも。
例えば丸いボールなら、まぁ多少のグランドの起伏ぐらいなら問題なく
15メートル先に落とそうと思えばできたし
右に曲げようと思えばココをこう蹴れば右に曲がるといった感じで
およそ思うがままにコントロールできたものだ。
んが、しかし、しか~し、あの楕円の形をしたボールさんは
止まった状態でしかもピンポイントで蹴らない限り
どこへ行くかはバウンドしてみないと判らない。
僕と良い勝負の天邪鬼ぶりだ。
さすがにアレは蹴ってドリブルで行くよりは持って走った方が確実だ。
って言うか持って走りやすいようにあの形になったのですか?
僕は正確な所は知らないので
一部の熱狂的な方々に先生とか呼ばれたりもする
横浜のメガネ君にでも聞いて下さい。
卵が先か鶏が先か?の例えではありませんが
ラグビーから始めた人とサッカーから始めた人で
ボールの一つとってもこれだけ捉え方が違うっていう対比も
面白いんじゃないかなぁ、なんて思って書いてみました。

 
ルールの話。

横浜の心は17歳のおじさんの説によると
サッカーは手を使ってはいけないから難しいそうだが
僕にしてみれば足だけで充分なのに
手まで使わなければならないのがラグビーだ。

 まぁ確かにあの楕円のボールは足でするドリブルには不向きである。
手で持って走ったほうが確実且つ早いだろう。
ここで一つ問題が生じる(僕にとって)。

 序章でも一度書いたと思いますが
サッカーのフェイントはラグビーでは通用しない(ものもある)。
特に僕のように足癖の悪さを全面に押し出して勝負するタイプにとっては
まったく応用が利かないと言っても過言ではない。

サッカーのフェイントは大きく分けて二通り。
ボールタッチとコントロールでするものとスピードと間合いで仕掛けるもの。
もっともこの二つどちらも出来てこそのドリブラーなのだが
誰でもかれでもマラドーナやメッシではない。
まずはドチラか得意不得意になってくる(と僕は主張する)。

 最近のトレンドは後者の方だ。
応用が利きやすく誰でもマスター出来て
尚且つ失敗した時も自分でもフォローできるという利点もある。
サイドラインを駆け上がり勝負を仕掛ける
長友君やビジュアル系の方のあやちゃんが得意なアレ。
修練が必要な上に誰にでもは許されない
しかも失敗されたら味方にモロにツケが回る前者は
和を持って尊しとする日本サッカー(あくまで僕の私見)では
自己中呼ばわりされたりさえしてしまう。
まぁ自己中なんだけど。
が決まったらカッコいい。
とってもとってもカッコいい且つとても気持ち良い。
ただ確実にいえる事はボールが楕円の場合まったくの不向きだ。
自爆の危険性120%と経験者として書いておこう。
手も使わなければ為らないフットボールの場合。
ボールが足元にあって成立するフェイントは
全くと言っていいほど役に立たないのさ。


え~と何が言いたいのかって言うと
ラグビーの方がまったく0から始めるのなら
とっかかり安いフットボールなんだよって書きたかったんだけど

 

 

 

皆さんにもそんな風に読めてますか?

Shall we dance?

ラグビーと言う競技というよりは

 

その授業が僕の高校生活の唯一の楽しみの体育に組み込まれていた事が

2学期後半の欠課率を大幅に上げることになってしまったのだが

他の生徒はどうだか判らないけれど天邪鬼な上に負けず嫌いな僕としては

たかが学校の球技大会とはいえど

負けるという事実は笑って済ませられる事態ではない。

 

 

そんな中でその事件はおこってしまったのです。

きっかけは本当にただのアクシデントで普通に体操服で行われる高校の体育の授業。

ちょっとしたきっかけでジャージのズボンがずれてしまったり

よくある出来事だったのではあるが

ある日珍しく授業に参加していた僕と

僕の回りにいたウチの母校では稀少な悪ガキ軍団の前で

タックルにいった生徒がタックルされた生徒のズボンをずらしてしまったのは

彼らにはマジメに授業に臨んだ上でのハプニングに過ぎなかっただろう。

しかし偶然とは言えそれを目撃してしまった

「なぜこの学校にキミ達が」

みたいな扱いを受けていた僕たちには

それはそれはとても興味をそそられる事象となり

球技大会の初戦であたることになっていた

ウチの学年で女子に一番人気だったボート部主将でイケメン細マッチョのD君

のズボンを女子が応援する目の前でずらしてあげよう

なんて企みはあっと言う間に企てられたのです。

 

そして球技大会当日

負けたらそこで解散のご褒美目当てに適当にチンタラするクラスが大半のせい

ブッチギリで優勝候補だったD君のクラスは予想通り女子の応援も盛大で

D君みたさで他のクラスの女子さえ見守る中悪ガキ軍団のプランは実行されました。

普通に後ろから追いかけては無理なので

僕がまず前からD君の行く手を阻みD君が華麗なステップで切り替えそうとした時です。

明らかにファールまがいの飛び込みでD君のズボンめがけて突っ込んだ

僕の相方の手はD君のズボンとその下のパンツまで掴んでいたようで

多くの女子の皆さんの目にはD君のよく鍛えられて引き締まったオシリと

下ネタすぎて書けねぇって部位までしっかりと焼付けられたのでした。

 

ちゃんとしたラグビーの試合では

そんなハプニングって無いのかなぁってたまに思ってみたりもするんですが。

前回の記事は僕も読み返してみてあまりラグビーの素晴らしさを

伝えきれてなかったようなので

今回はホラこんなにメルヘンなんだよって感じにしてみました

 

 

これはちょっと前のある方のブログに書いてあったのだが

歯医者さんに行った時のこと

麻酔が良く効くことをお医者さんに驚かれ

「素直な性格だから麻酔が効くのかも?」みたいな結論に達せられていた。

確かに僕みたいなヒネクレ者よりは素直な性格の人のほうが

麻酔って効き易いのかも?と一瞬思ってみたりしたのだが

イヤイヤ待て待て。

素直な性格な人が効き易いのは麻酔じゃなくて催眠の方じゃないだろうか?

もちろん僕は麻酔の専門家ではないのでここで簡単に結論づける訳にはいかないが

麻酔がよく効きますねって驚かれたお医者様には

一つ重要な情報が欠けていたのではないかと思うのだ。

 

それは何か?

その人は普通の人より痛みに強い人」だという事。

 

同じフットボールと言う呼ばれ方をする競技でも

僕がやっていたサッカーと言う競技は表向きは接触プレーは禁止されている

事になっている

相手を引っ張ったり掴んだり投げ飛ばしたりなぎ倒したりしてはいけない。

だがその人が愛するラグビーはそれらの事を力いっぱいする事に意義がある

掴んだりなぎ倒したりが本分だ。

脳内麻薬出しまくりで僕なら痛い事が気持ちよくならなければ

やってはいけないスポーツを愛し

風邪も捻挫も走れば治る」的な指導を受けてきた人

一般的に麻酔が効き易い体質の括りの中に簡単にいれるのはどうだろう?

だってその人は

骨にヒビが入っても普通に走って普通にプレーできる人なんだぜ。

かつて親愛なる中山隊長は言ってました。

「人は骨折をしても走れるけれど骨折をしてまで走ってはいけません」

サッカー界の常識はもう一つのフットボールでは通用しないのだ。

てな訳で僕の結論としては

その方は「麻酔が効き易い体質なんじゃなくて、ただただ痛みに強い」だけ

なんだと思います。

 

見解の相違。

僕が通っていた高校には体育の授業で1年次2年次の2学期に
楕円のボールを使うあのスポーツの授業があって
2学期の終わり頃に行われる冬の球技大会では
1年2年合同のトーナメント形式の試合が行われた。
それほど広くなかった運動場を2面に使って行われるその球技大会は
コートの広さも試合時間も、なんちゃってな感じは否めなかったが
ノックアウト方式
一回戦で負けちまえばとっとと帰宅できるシステムは
多くの生徒にとても好評だった。

僕が一年の時のクラスの体育委員だったI君は
けっこう熱血タイプのナイスガイで
「何でウチの学校にいるんだ?」
と聞きたくて聞けなかったくらいの子だったのだが
その試合に向けたポジション決めで
「Kは元サッカー部でFWしてたらしいからスピードと突破を期待してウィングな」
みたいな感じでコッチの意思はまったく無視して
体育の先生と勝手に決めてしまった。
さてそのI君のラグビーのウィングに対する知識がどうだったか
僕には正解かどうかは怪しいもんだが
彼は大きな勘違いを最初からしていたはずだ。
だって僕は確かに足が遅い訳ではなかったが
とりたててブッチギリに早い訳でも無かったし
I君が僕に期待していたフェイントを含むフットワークも
あくまで僕の場合足元に丸いボールがあってこそ成立する
「またぎフェイント」や「キンタフェイント」に「クライフターン」と
手でボールを持っていると大して効果を発揮しない
って言うかまったく役に立たない技が殆どだったのだ。

そんなこんなで球技大会当日。
サッカー部の新入部員歓迎会で僕をイラっとさせまくった
いかにもがり勉タイプのメガネ君のクラスと対戦し
サッカーでは僕を止めるどころか
僕のボールに触れる事さえできなかったメガネ君に何度も止められ
最後にはタックルさえされてしまった。
僕にタックルを決めた後、起き上がる僕を見下ろすメガネ君のニヤケ顔が
あの楕円のボールを見るたびに思い出され
発狂しそうになってしまう程トラウマになってしまった。
ましてや楕円のボールを触るなんてもっての他。
2年生の時はその授業自体をサボりまくってしまう程
嫌な思い出しかないそのスポーツが僕の大好きなサッカーと同じ
フットボールと呼ばれている事を知り
楕円のボールにトラウマを抱え嫌悪感さえ抱いていた僕が
キライなのはそのスポーツではなく「メガネ君」だった
という事に気づくのは
それからまあ随分と後になってからのお話となるのです。

 

 

スクラムってキライ。
何が楽しくって野郎が肩を寄せ合って
ギュウギュウに押し合わなければならんのか。
顔が近い。
ケツを寄せるな。
だいたい僕はせっかくセレクションで受かった私学に
「女子いないし」
って言って行かなかったくらいなのに。

では横浜の先輩が企んでいたような男女混合のスクラムならいいのか?
いやいや、それでもきっと僕はアレはキライ。
だいたい僕はFWだったくせにゴール前に飛び込んで行きたくない一心で
必死にプレースキックの練習をしたくらいなのだから。
たとえ仮にもしも僕の隣が石原さとみちゃんだったとしても
かなりな割合でスクラムには参加しない。
どっかの誰かさんのように女装してまで参加しようなんて思わない。

絶対に。

 

アレなんて言う名前だっけ。
体育のラグビーの授業で付けさせられた頭につけるアレ。
誰が洗濯してるんだ?
いつ洗濯してるんだ?
てか本当に洗濯とかしてんのか?
って思えるくらい臭くて汚いアレ。

とりあえずアレがキライ。

臭くて汚い上に髪型がボロボロになっちゃうアレ。
アレをつけて1時間過した後に普通に授業にでるなんて絶えられない。
それくらいなら高校生活唯一の楽しみの体育の授業だって
喜んで欠席しよう。

僕にとってラグビーとはそんな感じだのだが、どうだろう?
みなさんにもラグビーと言うスポーツの魅力が
伝わってくれているだろうか?
そうラグビーとは、こんなイヤな思いをしても
肋骨にヒビが入ってその上に足の筋肉がどうかなっても
ついでに試合終わりに海に放り投げられても
来年もまた楽しみたいと思うような一生をかけて楽しめるスポーツなのだ。

 

人によってはね。

序章。

今思えば当時の僕はチームスポーツの競技に不向きな子だった。

夜空にキレイな放物線を描く田淵さんのホームランに憧れて始めた野球も

 少年野球の時点で監督のサインをイチイチ確認しながらする

 と言う行為がウザったくてイヤだった。

 

家族の誰もが中学になっても

 きっと続けるんだろうなって思っていた野球をあっさり止めてしまったのも

 実はソコが一番大きな理由であって

 前半開始のホイッスルが鳴ってしまえば監督の言ってる事なんか

聞き流そうと思えばできるから選んだのがサッカーで

 ヨハン・クライフだって言い訳でしかなかったのだ。

 

そんな協調性に難のありすぎるヤツが入学したのが

 マグレで受かった進学校だったと言うのが

 全ての間違いの始まりだったのかも知れない。

 もしレセプションで通った私学に想定どおりに進学していれば

 マジメにサッカーに取り組むチームメートや先輩に考えを叩き直されるか

 根本的な間違いに気づいていたかも知れないが

 基本的にお勉強が主体でいい大学に行く為の手段として

 その高校を選択した生徒が圧倒的多数を占め

 授業が済んだ後も

すぐ塾だなんだと忙しく勉学に励む生徒の中に放り込まれた

 ソコへ入った事で目的を達していた僕とは

 多分に相容れない溝があったとしても不思議ではない。

 

「世界的にはサッカーじゃなくて、フットボールって言う方が普通なんだぜ」

 なんて偉そうにヌカス上級生にイラっとした新入部員歓迎会で

 そのガリ勉風メガネ君を一緒にいた同級生がなだめてくれてなければ

 もう少しでイッチャってたなんて

 今だから笑い話風に書けるんだけど。

 

そう言う子だった僕には

 どっかの誰かさん(←クリックしてね)みたいに

 通用門で、ギョーザみたいな耳を持ち

 顔に傷のある屈強な上級生に両脇を掴まれてたりなんかしたら

 入学早々の不祥事なんて事になっていた可能性だって大なのだ。

 

良かったウチの母校にラグビー部とかなくって。

 

 

基本的に

自分に優しく出来ている僕はしなくてもいい我慢や苦労は

 出来うる限り排除して選択肢に入れてあげない。

 だからキツイ練習なんかするくらいなら別に

レギュラーじゃなくても良かったのに

ぐらいのテイストで部活に出ていたら

 特に問題は無かったのかも知れなかったのに

 その頃のスター選手達が繰り出すスーパープレーをマネするのは

 楽しいし気持ちいいからちっとも苦じゃなかった。

 

ヨハン・クライフミッシェル・プラティニ

ディエゴ・マラドーナそしてロベルト・バッジオ

 テレビで見るスター選手達の繰り出す技の数々を夢中になって練習していた。

 たいして強くも上手くもない進学高のサッカー部。

 春の連休明けには3年生も引退し

 決して厚くない選手層が益々薄くなってしまう頃

 協調性に欠け態度に少し難があるとはいえ一人で勝負できる

足癖の悪い1年生をレギュラーで使ってみようと思った顧問の先生を

 さすがに責めるのは酷かも知れない。

 特に僕らの学年は何を間違ったのか中学の時

市の選抜候補に挙がった選手が二人も入学してきていたので

 やっとレギュラーになれると思っていた2年生が

 3人もチャンスを失う形になってしまった。

 しかも市の選抜チームで大活躍したMFのN君が

 

「Kがトップにいたらプレーしやすいです」

 

なんて顧問に言っちまったもんだから

 足癖が悪いドリブラーへの風当たりは強くなる一方で

 

「文句は俺を一回でも止めてから言えよ」

 

って思うだけで言わないようにしてたつもりが

 どうやら態度にハッキリとでてしまっていたようで

 色々メンドクサクなった挙句退部届けを出したのでした。

 

すっと学級委員を歴任するような人格者のN君が

 僕が退部届けを出した時の捨て台詞の

 「真夏に本気でサッカーをするのは大馬鹿者」の前に言った

 「あのア○ンダラの先輩に気を使ってまで」

 の部分を省略して先輩達に報告してくれた為

 一応円満に退部できたどころか

 実はいつでも戻れるように休部扱いにしてくれてたのに

 お馬鹿さんな道を謳歌してしまった事(←クリック)は今でも本当に心残りなのだ。

 

だからこそ専門学校で知り合ったイカツイ坊主頭と

 インチキなサッカーチームを作った(クリック)んだけど

 理由はどうあれ同じようやり方でチームを作り

 ずっと戦い続けてきたあの人(クリック)に

 僕のチームと同じように普通に戦って普通に散ってくれって思ったのも

 天邪鬼な僕にすれば当然っちゃ当然なんだ。

 

 今や星の数ほど無数に存在するブログの中で

 こんなにもよく似た経緯と実力を持つ私設チームの首謀者同士が

 そんな事知らないまま知り合えた偶然は

 形は違えどフットボールという名前のスポーツが

 引き合わせてくれた縁なのかも知れません。